雑 感雑感


何気なく思ったことなど個人の感想を取り留めもないことですが書いてみました。
深く考えたことでもないのでその程度に読んでください。

今、大事にしようと思っていること

その1・筋力と柔軟性

歳を重ねる毎に失われていきますが、嘆いていても仕方のないことです。
幸いに時間は取れるようになりましたので、繰り返しのウォークや柔軟を心がけていますが、70歳代になった今でも思ったよりも伸びしろは残っていました。
脚の力やボディの力も付いてきたし柔軟性も増してきて、それなりに手ごたえを感じています。

その2・エネルギー

高齢になるとまったりしたダンスになりがちです。
それはそれで素敵なことですが、競技では人と比べられると緩慢な動きにも見られかねません。加齢と逆行しますがやはり「エネルギーが見えることが大事だなー」とは私の考えです。
先ず大事になるのはボディを使い切ることで、なかなか大変なことですがてきめんに効果は出ます。

音楽性

ダンスは音楽に合わせて踊るのは当たり前のことです。
ただ恥ずかしながら最近になって、もう少し音楽性について考えるようになってきました。
誰しもカラオケでは好きな歌に情感を込めて歌われると思いますがダンスでも同じこと、ただ表現ツールが声ではなく身体全体であるところが異なる点です。
3拍子、4拍子の表現は当たり前のこと、その中でも自分の間の取り方なども意識しながらパートナーとの調和もありますから、言うほど簡単ではありません。
表現するための筋力・柔軟性も必要です。正解などないのでしょうが試行錯誤の繰り返しです。

プロは何故うまい・・?

多くの皆さんはプロはダンスが上手いのが当然だと思ってらっしゃることでしょうね。
何でかというとプロだから・・(笑)。
でも違います。

本当のことをいうとプロが上手いのはそれなりの覚悟を持って練習をしているからです。
練習をしないとプロも下手になるし、アマチュアの方でも練習をしっかりしている方は上手です。
特別なダンスの才能などほんの一握りの方にあるかないかくらい・・とあえて言います。
多くの場合でいえば練習を継続できる才能のほうがずっと重要だと思います。

繰り返し申し上げますが練習あるのみです。
一般人ダンサーは限られた少ない時間の中でやりくりしておられるだけであって、プロと同じ条件を与えられていたら今より格段にハイレベルになっていたはずです。
持って生まれた才能はそんなに違いはないと信じています。

今からでも正しく、効果的な練習でロスを少なくして、繰り返し筋肉や神経に刷り込んでいくことが大事です。
いかに効果的に練習するか・・そこは頭の使いどころです。

スポーツとしてのダンスについて

私がダンスを習い始めた昭和40年代の終わり頃は、東京にもまだダンスホールがたくさんありました。
残念ながら今は1店を残すのみとなってしまいました。
もう少し前の世代の方は大学の”ダンパ”などでダンスを楽しんだという話しを良く聞きました。
初めて行ってもその場のレクチャーですぐに踊れるジルバやマンボのような簡単なものだったようですが、ずいぶんと若者が多かったようです。

私がシャルウイ・ダンスの役所弘司さんのように、新宿歌舞伎町入口のダンス教室に飛び込んだ頃は、場所柄なのか男女共ほとんどが20代の生徒でした。30代以上は少なかったのですがその先輩などが颯爽と踊る姿をまぶしくみていたものです。
同世代の生徒同士、先輩や先生も交えて楽しい時期を過ごさせていただきました。
その頃もプロ、アマチュアの競技ダンスは行われていましたが、一般的にダンスを習うということは文字通り社交の為、遊びの為と考えていた人のほうが圧倒的に多かったように思います。

今、社交ダンスといえば中高年の代名詞のようになっていて、若い方が少なくなったのは残念なことです。
その理由としていろんな方が意見を述べられていますが、要約すると次のようなことになるのでしょうか。

1.スポーツや趣味の分野で多様な選択肢が増えた
1.相手が必要なのでわずらわしい、又は相手がいない
1.種目が多いし、楽しめるくらいに覚えるまでがたいへん
1.習うのに費用がかかる

確かにそういう面はあります。
でもプラス面もたくさんたくさんありますし、何と言っても健康面・・前進、後退、上下、回転の全ての動作を網羅していてバランスが良いのがダンスです。

良くテレビで健康番組を見かけますが、身体に良い食材や生活習慣などを指導されていても最後には必ず”適度な運動が必要”と締めくくられます。
また日常とは少し離れたところでリフレッシュしたりコミュニケーションすることは”適度な心の運動”ともいえるのではないでしょうか。

マイナス面を少しでも改善しながら、老若男女がそれぞれの目的を持ちながら共に楽しめるようになれば良いですね。
またそれに向け努力されているダンス組織の方々、個人の方ありがたいです。

知ってることと出来ることは違う

もしあなたがコーチャーだったとしたら持っている多くの知識や理論を伝える能力があれば大丈夫です。
もちろんご自分の身体で表現して見せることも重要ではありますが、その部分はだれか例えばチャンピオンの動画を引用して説明や解説をすることも可能です。

でもあなたがプレーヤーであろうとするのなら知ってる知識や理論だけではすぐには役にたちません。
それをご自分の身体で表現できてはじめて”身についた技”となります。
そこには繰り返しの努力以外の方法はないと私は思います。

1回や2回の練習で出来るようなことならだれでもすぐできます。
繰り返しの反復練習しかありません。
その努力を続けられることこそ才能です。

もう歳だから・・

これは私にももろに降りかかってくることですが、厳しい現実は確かにあります。
筋力や反射神経は確実に衰えてきますし、老眼もその年代になると残念ながらちゃんとやってきます。
体力は25歳くらいがピークで、一般的には40歳代から肉体の衰えが自覚できる程に顕著になると言われています
一本一本の筋繊維が痩せて細くなって行くことにより力強さや素早く動いたりが出来にくくなります。
特に下半身は何もしなければ3倍のスピードで落ちるそうです。
それでなかったらスポーツ選手が引退などするはずがありません。

落ちる一方では希望も何もありませんが、でも気の持ちようと努力でその落ち方は相当違ってきます。
実年齢以上に動ける方はたくさんおられます。
その方達はきっと隠れた努力をされているのでしょう。
そしてその差は年齢を重ねる程大きくなります。
もう歳だからと思ってあきらめた時点で自分の可能性の芽を摘んでしまっています。
あえて言いますが年齢を重ねる程努力しなければなりませんし、それは誰かが替ってやってあげることも出来ません。

余談ですが古武術を研究されている”甲野善紀”という方がおられます。
私と同年代ですがその甲野先生がこのような事を言われていました。
<生涯を通じて今が一番身体が動く>

普通は歳を重ねるほど身体能力は落ちて行くのが常識です。
でも私も同じ感覚を抱いていたものですから、レベルの差はあるでしょうが実に良く納得できました。
筋力、瞬発力、持久力全て落ちているのは紛れもない事実ですが、身体の自在性や透明感は増していることを実感しています。

私も若い人のように身体が動かなくても時々故障しても、できる努力を続けて生涯ダンスを楽しむプレイヤーでいたいと願っています。
そして自分のイメージに少しでも近い動きのほうが楽しいですから、そのための努力は続けています。
もういいや・・と思った時点でENDです。

社交ダンスはなぜ半分身体をずらすか

これはもうballroom(舞踏室)を大きく動く為に考え出された方法であることにつきます。

もちろん密着度の大きいスタンダードに限ってのはなしで、比較的動きの少ないラテンは相手と正対しますし、動きの大きなサンバやパソ・ドブレなどは相手とのスペースが確保されていますので動くのに支障はありません。

クラブダンスであるサルサやアルゼンチンタンゴなどのペアダンスも相手と正対します。
大きく動かないのでサイドリーディングなどは逆にNGです。

私の想像ですが大きく動くには相手が正面にいたら無理ですので半分ずらした。
そしてさらにトップを広げることによって、独特の立体的で美しいフォルムを獲得したのではないでしょうか。

引き上げのベクトル

私が最近特に感じることのひとつに「引き上げのベクトル」ということがあります。
これは背骨が上方へ引き上げられて、頭部の百会の更に上まで見えない糸で引き上げられるイメージになります。
よそ行きの姿勢、意識が必要です。
よりスッキリ見えますしこれについて異論のある方はおられないと思いますが、私もいざ自分のことになるといつも反省しきりです。

身長測定時には誰しもより高く伸びようとしますがそのイメージでも良いし、昔から上にある帽子に頭を突っ込むように…との教えもあります。

ラテンはもちろんのこと、特にスタンダードなどは印象が天地ほどに顕著に違いが出てきます。
ロアーした場合でもこれは脚部の動きの変化であり、上部が縮むことではありません。

中高年のアマチュアダンサーに多いのですが、スイングダンスでのライズは比較的しっかり引き上げていても、ロアーになるとテンションが緩む方が多いです。
タンゴにおいても動く時に首が縮むというか、緩んでしまうと全体が潰れて見えます。

これはスッキリ見えないし、印象で損をしています。
頭部を引き上げ肩を下げる・・これをキープするだけでも努力が必要ですが、特に競技ダンスを目指している方は、他人(ジャッジ)から評価を受けることになるのですから、一考の価値はあります。

スカイツリーとテしビ

東京スカイツリーは電波を発信し、われわれの各家庭はその電波を受けてTVを視聴しています。
電波塔がいくら高画質な電波を送っても受ける側のTVの性能が低いと私たちは良い画像を見ることができません。
またその反対にいくら良いTVをもっていても電波塔の性能が低かったり途中に障害があったりすると、やはり良い画像は得られません。

これはダンスの教える側、教わる側にも同じことが言えます。
教師側は生徒さんの求めに応じて質の高いレッスンを心がけ伝えるような努力が必要ですし、生徒さんは自分の理解できないことでも一旦受け入れてやってみることでステップアップにつながります。

またパートナーシップにも同じことが言えます。
男子は女子が気持ち良く踊れるように良い電波・・すなわち良いリードをしなければ伝わらないし、同時に女性も男子が気持ち良くリードできるようにしなければなりません。
勝手に動いたり、又動かなかったりして男子に余計なことを考えさせることなく、リードに集中させてくれることが必要です。
勝手な動きをした挙句に相手のリードが悪いとか文句をいう人もいますし、その逆も当然にあります。

片方が一方的に悪いということはほとんどありませんので、発信と受信の関係をそれぞれスキルアップして性能をあげて行く努力が必要です。
その為に自分の欠点は改善して行きましょう。
私からだが硬いの・・・とか自覚していたら何とか柔らかくするようなある程度の努力は必要です。
自分のことをさておいて相手にのみ性能の向上を要求するのはアンフェアです。

格闘技に思う

「東京オリンピック2020」新型コロナ禍の中、1年遅れで無観客開催とはなりましたが、無事に開催されて本当に良かったです。
日本の獲得メダルも史上最高とのことでおめでとうございます!
特に柔道やレスリングなど格闘技の選手も活躍されました。
この格闘技、相撲やボクシングなどもそうですが、ダンスと正反対だなあと思っているのは私だけでしょうか?
いかにして相手を懐に入れさせないで、いかにして相手のタイミングを外すかが勝負の分かれ目となりますので、腰を引いて、腰を落として、頭を下げて、手でガードします。
勝負ですからね。

ではダンスはどうでしょう。
当然ながらパートナーさんは敵ではなく味方です。
拒否するのではなく受け入れることが何より大切です。
では腰は引かないでください。腰は引き上げてください。頭は上げてください。手で押さえないでください。
格闘技と全く逆のことをすれば良いとは私の見解です。
どうぞ格闘しないでシンクロさせてください。

”春の小川”理論

春の小川はさらさら行くよ~・・という歌があります。
いかにも清らかで澄み切った流れを連想できて清々しいです。
今では想像だにできませんが、渋谷川の情景だそうですね。

私たちの身体もこのように血液の流れやリンパの流れ、気の流れなどがさらさらと淀みなく流れたらどんなに爽やかでしょう。
反面流れの滞った淀みはガスなどの有害物質が発生し、環境を著しく損ねます。
身体の中の淀みは血液の淀みや血栓、あるいはがんや成人病を引き起こします。
又、古来”気の滞りの病”とは文字通り病気を指します。

最近TVで健康番組がたくさん放送されていますので私も好きで良く見ています。
いろんな身体に良い食材や健康法が紹介されていますが、必ず最後は”適度の運動”を行ってください・・ということで終わります。
私は普段はまあ動いている方だとは思いますが、年末年始などで何にも動かないで食べてばかりだともう3日程で身体の中が淀んでくるのがはっきりわかります。
そんな生活を続けていたらあっという間にどぶ川のような身体になるでしょう。

私は社交ダンスこそ最良の健康法と、いささか我田引水なところはありますが思っています。
良く寿命に対して元気でいられる健康年齢が大事といわれます。
若いうちは何もしなくても得られていた健康は、歳を重ねるごとに相応の努力が必要になります。

万が一の介護費用を用意するなら、その何分の1でもその予防のための運動に振り向けるのも賢い選択だと思います。
その努力もしないで身の不幸を嘆くのは止めようというのは私の考えです。
きっと日々ダンスを楽しんでいる方たちもおそらく同じ思いでしょう。
それでも駄目だったら仕方ないことです。

足で踊ることからの脱却

社交ダンスをされている多くの方は、まず最初に“足型“ から入られたと思います。
もちろん私もそうでした。
先ずは動いてみて楽しんでもらおう・・という当然の入り方です。
ただ上達に従って徐々に”足”から”脚”さらに”腰”を使い・・と上へあがってきます。
さらには”胴(ボディ)”を使い胸部まで いくとまさに全身運動となり、ダンスの醍醐味を感じることができます。

どうも伸び悩んでいると感じてる中高年ダンサーの皆さんは身体の上の部分、まずはボディを使う意識を持つとまた異なるステージが見えるのではないでしょうか?
いや使っているよという方は1ではなく10を目指すくらいの気持ちで臨んでみると良いかな~などと・・ただしくれぐれも無理をして身体を故障させないように!
難しいところです。

男はつらいよ(笑)

”寅さん”の話ではありません。

「昔から男は女性の3倍努力しないといけない」とはよく聞いていました。
最近、名のあるプロダンサーから直接聞いた言葉では 、「スタンダードは男9割」「ラテンは男女半々」くらいだそうです。
女性のスタンダードダンサーからは、私たちはたった1割?…との声も聞こえてきそうですが、確かに男性次第で成績が決まることも納得できる点です。
決して女子が出来てるということでなくても、コーチャーはまず基準となる男性を直すべく指摘が多くなります。
それでも上級になる程、女子の役割も増すとは思いますが…。

一般的に女性には厳しく言わないので”自分はOK,悪いのはリーダー”との勘違いをしがちですが、そこは謙虚さが必要…とは私の考えです。
男性としても、”上手な女子と踊れば楽々動けるのに…”など、言いたいことはあるはずです。

「音楽を聞いて」「ルーティンを間違えないで」「LOD に沿って周りと交錯しないように」等々、そんなこんなで”リーダー”は本当にたいへん。

でも女子はそうしたくてもできない男性だけの特権でもありますので、いろいろご意見はおありとは思いますが”男は黙って…‼”の心境、努力!努力!だと思っています。
個人の意見に過ぎませんが皆さんはいかがでしょうか。

又、別の方からの言葉ですが、本当に上手い男子は女子が素敵に見えるようなリードをする人であって、自分が目立つことなく黒子に徹しているそうです。

競技ダンスのフロアクラフト雑感⁉

競技会に出場しますと成績というものがついて回ります。
成績がずっと良い…なんて方はほぼいない訳でして、皆さん敗因をあれこれ考えます。
その中にフロアクラフト…いわゆる位置取りの良し悪しというものがあります。
自分で‥、パートナーから‥、コーチャーから‥、仲間からも指摘されたりで悩みは尽きなくなります。
多くは〈審査員に見えるように踊りなさい〉ともっともな意見です。
見てもらわなければ始まりませんので大正論ではありますが、その為”ああだこうだ”の意見が出てきます。
しかしフロアーを移動するので審査員の前だけにいる訳にもいきませんし、審査員も目の前の人だけしか見えないような目の悪い人はいないはずです。
やはり遠くでも動きのいい組は見てくれると思います。ただ人混みに埋没するような位置取りは避けなければなりませんが…。

全くの個人的意見ですがラテンで移動が少ない種目は別として、あまり気にする必要もないのかなーとは思っています(パートナーさんは別の意見ですが)。
もちろん隅ばかり移動するのも問題ありですが、それさえ一部有力選手は遠くの隅で踊ってもピックアップされますから。

全くまとまらない文章になりましたが、要は正解などないのだと思います。
良い時もあれば上手く行かない時もあるので、あまり気にしないでいいんじゃないかな…⁇というのが今のところの私の考えです。甘いですかね。

自分が見える世界と指導者が見ている世界

私自身の自戒も込めてですが、人は自分の理解できる範囲しか見えていないようです。
「こうしたら・・」などのアドバイスを頂いても、何回かやっただけで「そんなこと無理・・」とか「プロになるんじゃないから・・」などと逃げ道を作りたくなります。
それは登って行く道がないのではなく自分が探さないだけに過ぎません。
かってその道を登ってきた人が”ある”と言って示してくれています。
人それぞれ同じ道を通らなくても確かに上の世界は存在します。
ただ現在の自分には見えないので、不安になったり卑下したりで悶々としたりします。
意欲的な方は指摘してもらったことを喜びますが、今の世界に囚われていると指摘に反発したりもします。

私はそういう理解できない時はとにかく”馬鹿になって”…、一人でひたすら反復練習をします。
考えていても始まらないので動きながら考えますと、意外と解決の糸口が見えてきます。
その繰り返しで一段上がれたなーと思うとまた壁が現れますので、死ぬまで退屈しないで済みそうです。
かって自分が通ってきた道の途中で悩んでいる方を見ると、その気持ちも良く分かります。
人のことを心配するどころではないのですが、時々は少しアドバイスさせて頂いたりしています。
一緒に頑張って行きましょう・!!

自分を変える勇気!

ダンスを楽しんでおられる方々、本当にお元気で一般的な高齢者のイメージとは随分と違い素敵です。

ただ競技ダンスで上を目指すとなるとどうしても結果が気になります。
そこにはいろんな葛藤も生まれてきます。
背番号を背負う男性側に比較的多いと思うのが、他者のせいにしがちなことです。
「パートナーさえしっかり動いてくれれば…」
「ジャッジの見方が悪い…」
「先生の教え方が…」
「…」「…」
いろいろ言い訳はできますしゼロでは無いかもしれませんが、一番変えなくてはならないのは本人です。
一番の味方であるパートナーさんに辛く当たったりしがちですし、最悪セパレートの羽目になるカップルも何組も見てきました。
しかしながら傍目で見るとリーダーさんが一番問題あり…のケースが多いです。
私もそんなことが頭をよぎった時期もあるので良くわかりますが、結局のところ自分のダンスを何とかすることが先決だと思います。
「相手を変えようとせず、先ず自分を変える!」
自分の働きかけが変われば相手も必ず変わります。
自信も必要もですが、過信にならないようにしなければなりません。

静止画と動画

鏡に映してポーズチェック…皆さん覚えがあると思います。
カッコイイポーズも大切なことですが、これはいわば「静止画」ともいうべきで、実際は このカッコ良さを一曲中ずっと維持していくことが大事なことです。
いわば「動画」のように連続した動きが必要です。
スタンダードで良く送り足と呼ばれますが、足だけでなくボディも滑らかに移動して
行って初めてダンスの動きになります。
良く見かけるのはコマ送りのようなカクカクした動きで、下半身が仕事をしていないケースが多く見られます。

もちろんラテンも同じことです。
私は過去にラインのカッコを気にする、静止画のダンスをやっていました。
あるラテンのチャンピオンダンサーの教えを受ける機会に恵まれて、初めて理解しました。
高齢者にもなってホントに恥ずかしいことですが、やっと気付きました。
それ以来、老骨に鞭打ってボディを大改造した結果、それなりに手ごたえも感じ好評価されているように感じます(歳のわりにです)。たくさんの湿布薬のお世話にはなりましたが…(笑)。

ピクチャーも大事ですがそれをつなぐ予備動作・送り…とでもいうのでしょうか??それが実に大事なことであると今更ながら感じています。


社交ダンスのあれこれ!
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